例えばこんなのがある。
最近は「やらない善よりやる偽善」という言葉で自己を肯定して、耳障りの良いボランティアが横行している。そして第3者から見たとき、必ずしも相手の立場に立って善行となっているか疑問である行為は多い。 私が調べた限り、この語源はUDがん研究プロジェクトへの参加に対する非公式なキャッチフレーズらしい。つまり、協力を依頼するモノであって善意の有無を問わないが、それは結果的に有益なモノでなくてはならない。 次のLinkからから重要なポイントをピックアップした。
Link:
「やらない善よりやる偽善」の異常性について
善意ある者は、既に何かしらやっている。善意なき者だけが、やっていないのだ。だからやらない善などないのである。 島田紳助のニュースは正にこれである。
問題点は自分の利益のみを顧みて行ったところでなく、相手の立場に立ってない点でもある。
本当に必要なことは「建てる」ではなく「維持する」ことだと感じました。これは当然のことですが、事実この学校ではこれが行われていないのです。学校の数についても、確かに少なくはあります。しかし、私が見て感じたことに、まったくないわけではありません。現実は学校があっても教師がいません。教師はスコールが降ると休んでしまいます。生徒数が少なく教室は余っております。今のカンボジア(特にコンポントム)には一時的で自己満足のボランティアではなく、アフターフォローを行う、相手本位のボランティアこそが必要だと感じました。 。 確かに偽善である以上 1から10まで世話する必要はないが、島田紳助は1や2で終わってしまった。 軌道に乗るまで 5か6くらいは面倒をみるべきだ。さらに言わせてもらえば自分本位な価値観や精彩の欠いた援助でコトを起こされても、それは相手にとって有益にならない。 画像で言うとこんな感じ
悪意のないからこそ、それは酷く迷惑になる。
そしてこれに類する名言・格言はいろんな偉人が口にしている。
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